その青い惑星の表面には、無数の光が瞬いていた。

 この惑星の公転軌道の中心に位置する、プロパンガスを主成分とする恒星――この星の言葉で言うところの、太陽。その光が届く範囲は、青く輝いている。水があるのだろう。それも、地表の大半を占めるほどに。そして、動く白いもやのような、雲か。つまり、大気も存在しているようだ。
 そしてなにより、光の当たらない地上に見える、文明の光。それはすなわち、知的生命体の存在している証だった。

「この辺で役に立ちそうなのは、ここくらい、かな」

 手にした本を閉じ、呟く人影。その呟きに呼応するかのように、彼の周囲を小さな星屑がくるくると回った。思索しながら、彼はふわふわと漂う。音もない、他の生命もない、死せる空間――宇宙で、ただひとり彼だけが生有る存在だった。

 太陽系第4惑星、地球。ここに降り立つことに、彼は決めた。
 長い長い旅の、通過点として。






Through the years and Far away  act 1





「……参ったなぁ…」

 所変わって、そこは深い森の中。地べたに座り込んだ彼は頭――と言ってもそれは人間の頭部ではなく、4色の、丁度太陽系で言う土星のような形をしている――を掻いた。
「重力の計算、間違ってたか……」
 身体の調子を確かめるように、座り込んだまま彼は肩を回す。身体にかかる重い負荷。無重力空間に慣れた身にとって、この星の重力は少々大きい。慣れるまで、行動は大変そうだ。
 まぁ、身体の造りを人間のものに作り変えたから、じきに適応できるだろう。そう思いなおして、彼はどうにか立ち上がる。
 彼の身体は見た目こそ人間のものと同じだが、中身は全く違う。それを急に作り変えたのだ。すぐには適応できなくて当然だ。よろよろと歩きながら、彼は情けなくも不時着してしまった言い訳をする。そして、よろめきながらも進む。当初の予定とは全く違う場所に不時着してしまった。ひとまず、この森をぬけなければならない。


 ――が、しかし。

「疲れた……」
 歩き始めて僅か15分。早くも彼は膝に手を当てて荒い息を吐いていた。
 予想以上に、重力が大きい。呆気なく脚の筋肉は音を上げた。重力を操って飛ぼうにも、まだこの身体に慣れていないので上手くできそうにもない。今日はここで野宿か……と溜息をついた。その時。

「……ん?」
 目を凝らす。道のずっと向こうに、闇に紛れてぼんやりと見える影は。
「家…なのかな?」
 顔を上げた。森の中、数百メートル先に見えるのは、この星の知的生命体―人間が作り住む、家だった。明かりはないが、現在時刻は、現地標準時刻で午前2時。寝ているという可能性もあった。起こしてしまうのは迷惑かもしれないが、一晩の宿を借りられるかもしれない。どんな危険があるかわからないから、野宿は避けたかった。
「行ってみる、か」
 そう思うと、自然と足にも力が入る。彼はまっすぐ歩き出した。

「……大きい、な……」
 遠くで見たときから薄々勘付いてはいたのだが、近づいてみるとその家は地球で一般規格とされている家よりもはるかに大きかった。屋敷と言って差し支えないだろう。口をぽかんと開けて、月を背に立つその屋敷を見上げた。レンガ造りの二階建て、そして人間と比較すれば高いほうであろう彼の身長よりも大きな門。一体何人の人が住んでいるというのだろう。臆しながらそっと門に手を触れると、鍵がかかっていないのか、きぃ、と小さな音を立てて門は開いた。
 一歩、二歩、中に入り、彼は目を閉じると感覚を研ぎ澄ます。自分でもいつ見につけた物だか分からないが、彼にはある程度の範囲内の生命反応を知覚する能力があるのだった。
「……あれ?」
 
ところが、


「誰も…いない?」

生命反応は、ひとつとして、なかった。
「空家、なのかな……」
 それにしては、と辺りを見渡す。庭には何もなかったが、かといって草木が生え放題になっている訳でもない。誰かが定期的に手入れをしているとしか思えなかった。ならば、別荘なのか。それとも、地球では自分の能力は使えないのだろうか。
(どちらにしろ、ここには泊まれない、かな)
 溜息をついて、肩を落とした。しかし、ここまで来て諦めるのもなんだか哀しい。彼は無意味だと知りつつも呼び鈴を鳴らした。暫く待つ。が、やはり反応は無い。
 次に、彼はドアに手をかけてみた。開いたら、声をかけてみよう。そして開かないなら、せめてこの玄関で休ませてもらおう。森の中で寝るよりは、少しばかり安全な気がするから。
 ゆっくりとドアノブを回す。カチャリ、と金属の音。

そしてあっけなく、ドアは開いた。

「あ……あのー、すみません、誰かいませんか…?」
恐る恐る覗き込み、小声で尋ねる。その声は、奥へと吸い込まれるように響いた。後に残るのは、静寂。
「やっぱり、空家なのかな…」
 考え込む。地球の法はまだ知らないが、人の家に勝手に上がりこんで良いということはない、と思う。しかし、何度感覚を研ぎ澄ませても、生体反応は一切無い。
 数分迷って、結局彼は自分の感覚を信じることにした。決めるともう躊躇わない性質なのか、彼は堂々と屋内に立ち入った。
 そして、まっすぐ奥に見える階段の脇を通り、その向こうにある扉を開ける。暗くて良く見えないが、どうやらそこは客間らしい。ソファーがテーブルを挟んで、一対置かれている。丁度良い、今日はここで眠らせてもらおう。そう思った途端、のしかかるように重力の重さが帰ってくる。どうやら身体も限界のようだ。彼は上着を脱ぎ、締めていた赤いネクタイを緩めると、ソファーにどさっと倒れこんだ。


 彼には、名前が無い。故郷も無い。唯一つ、最初の記憶は、暗く広大な宇宙を唯一人彷徨っている記憶。
 親も、知人もなく、何一つ思い出もなく、ただ、誰に教わったのかも分からない膨大な知識だけがあった。
 しかし、皮肉にも、唯一の持ち物であったその知識が、彼に疑問を抱かせてしまった。自分は誰なのか、何処から来たのか、何故宇宙に唯一人彷徨っているのか――。
 その答えを見つけるために、あらゆる星を訪ね続けて、一体どれほどの時間が経ったのだろうか。

 夢うつつで、彼は思う。何番目の星かももう分からない、この地球に、今度こそ手がかりは在るのだろうか、と。



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