目を開けてすぐ飛び込んできた光に、目を細める。眩しい。とっさに腕で光を遮る。東の窓から、朝日が差し込んでいた。ゆっくりと上体を起こして、辺りを見回す。部屋中が、明るい光に満たされていた。
 宇宙には無い、暖かな光。外で鳴く鳥の声が、空気を震わせて音波となり届く。地上に居るのだと、改めて実感する。
 腕を回してみた。昨日より、身体は軽い。少しは慣れてきたようだ。
 とにかく、今日は近くに街が無いか探してみよう。今日こそは飛べるようになっているといいのだが。

「あ…そうだ」
 と、気がつく。街に出る前に、どうせならひとつやっておきたいことがあった。
「本か…出来れば辞書があればいいんだけど」
 この星の言語を、まだ習得していないのだ。どういうわけか、どんな未知の言語でも、読むことが出来る能力が昔から自分には備わっているのだが、かといって話せるわけではない。だから彼はいつも降り立った街の本屋で辞書を読み、言語を習得することから始めていた。
「ひとまず簡単な挨拶くらいは覚えなくちゃ」
 呟いて、歩き出す。地を蹴る感覚が新鮮だ。ドアを開けてロビーに出ると、2階にある大きな窓から明るい光が差し込んでいた。ロビーからは、2階へ続く階段と、右手に伸びる廊下が見える。ひとまず1階をまわることにして、彼は右手へと進んだ。

 ドアを1つずつ開けていく。左手にはダイニングやキッチンがあった。右手のドアを開ける。手前の部屋には、大きな黒い調度品が置かれていた。別の星の文献で読んだことがある、グランドピアノという楽器だ。興味を引かれたので、部屋に立ち入ってみる。ピアノの横にあった棚には、何冊が本が置かれていたため手に取ったが、どれも楽譜のようだった。音楽は好きだが、言語の学習には使えない。取りあえずその本を棚へ戻し、部屋を後にする。
 そして、次に隣の部屋の扉を開けた彼は、思わず小さな歓声をあげてしまった。
 その部屋は、天井まで届く本棚に四方を囲まれていた。そこには、隙間無く本が並べられている。本棚に駆け寄って、その背表紙を読む。言葉から察するに、どうやら物語だけでなく、学術書も置いてあるらしい。喜びに胸が高鳴る。これはもしかしたら、しばらくこの家で調査をするべきかもしれない。
 誰にも憚らずに、大量の本が読める――そう思うと心が躍った。自分の出自を知るため、文献を読み漁っているうちに、調査に関係なく読書が好きになっていたのだ。彼は一先ず国語辞典を探しながら、並ぶタイトルを見て笑みを浮かべた。


 ――それから、約半日が過ぎた。
「……と、これでいいかな?」
 先ほど習得し終わった言語を、声に出していってみる。だいたい、日常会話に使う程度の言葉はマスターした。
彼は一つ伸びをすると、ソファーから立ち上がる。
「さて…少し探検してみようか」
 朝見た階段が気になっていた。もしかしたら、この家は書庫か何かだったのかもしれない、と思ったのだ。2階の部屋も見てみたいと、好奇心が頭をもたげ始めていた。
 部屋を出る。赤光が廊下を染め上げている。廊下を抜け、ロビーにある窓から外を見ると、空が真っ赤に染まっていた。本当に、どの星も、地上の風景は美しい、とひとつ息を吐いて、階段を上った。
 階段を登りきった踊り場には、額に入れられた風景画が飾られていた。それを横目に、彼は一階と同じ様な造りの廊下へと向かった。ドアは、4つある。
 右手のドアを、開けた。その部屋にあったのは。

「……寝室、か」
 少し落胆して、呟く。けれど、この屋敷に暫く滞在するなら、この部屋で寝てもいいかもしれない。彼はそう思いなおすと、部屋へ入った。
 北向きの部屋は、日が差し込まず薄暗い。その中で、ぼんやりと机やクローゼットなどの調度品が見えた。誰も居ないはずなのに、何故か生活感の感じられる部屋だ。彼は歩いて、部屋の奥のベッドに近づいた。白いシーツと、ふかふかした布団。意外と快適そうだな、と動かした彼の視線が、その時、ふと止まった。

「……え?」
 その視線の、先には。
(人間?……いや、違う)
 黒い帽子に赤い羽根飾り。そして顔の右半分を覆う白い仮面。
 そして、何よりも際立って「ヒト」と違うのは、その青磁のような透き通る淡い緑の肌。
(人形……なのかな)
 興味を引かれて、近づく。人形なのだとしたら、とても精巧にできている。まるで生きているようだ。今すぐ目を開けても、おかしくないとさえ思える。
「そしたら、buongiornoって言うんだっけ」
 思わず、確認するように呟いてしまう。そして、そんなはずも無いか、と独り苦笑した。

 そう。そんなことはない、はずだった。


 ぱちっ、と音がしたのではないかと思うような。
 そんな、一瞬の間の後。
 閉じられていたはずの目、その向こうにあった、黒曜石を嵌め込んだような濡れた真っ黒な瞳。
 そこに、自分の姿が、はっきりと映りこむ。
 呆然と口を開けた、自分の姿が。

 
 そして、目を開いたその”人形だったはずの誰か”は、はっきりと口を開いて言った。


 「………どちら様、ですか?」

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