夕焼けフィロソフィー

ジズに手渡されたメモを見ながら、カゴの中に野菜を放り込んでいく。しばらく街に出ていなかったからか、大層な量を頼まれた。野菜の他にも、既にカゴの中には調味料のボトルが何本も入っている。
 街で人形を売り、得た収入で買い物をしてくるのが白の役目だ。人形を売らないにしても、だいたい2週間に1回は街に来ていたのだが、ここのところ立て続けに仕事の依頼が入り出かけることも間々ならなかった。ジズはその間、買い物を頼めずにいたのだろう。久しぶりに街に行くと告げた時、嬉々としてジズが渡したメモを見て、白は絶句した。とても1人で運べる量ではなかったのだ。

そこで。

「…なぁ……白いの、重いんだけど」
 隣で呟くのは、土星兄弟の片割れ、ロッソだ。出掛けに、庭で洗濯物を干していた彼を強引に引っ張ってきた。無論、仕方なくだ。ジズにそんな荷物を持たせる訳にはいかないし、かといって青土星は気に喰わない。消去法である。決して一緒に行きたかった訳ではない。決して。
「我慢なさい、男でしょう」
「いや、生物学的にはどっちでもないんだけど、俺」
「軽口を叩く余裕があるなら平気でしょう。運びなさい」
 そう言うと、渋々といったようにロッソはカゴを持ったまま白の後をついてくる。
「後は牛乳と鶏肉と、魚……って、随分と大ざっぱな指示ですね」
 メモを見ながら呟くと、ロッソが上から覗き込んでくる。上からなのが悔しい。
「魚か…今の季節は腐りやすいから、とりあえず干物とか?あとは鮭とかが無難じゃないの」
 料理が好きだと公言するだけあって、ロッソはすらすらと言う。彼の言いなりになるのは癪だったが、白には料理のことはさっぱり分からないので、仕方なく従う。
「私は白身魚の方が好きなんですが」
「じゃあ白身魚も買ってけば?黒いのが使わないなら俺が使うし」
 独り言のつもりだったのだが、思いがけぬ言葉が返ってくる。その言葉に甘えて、白は大量に白身魚のパックをカゴに放り入れた。
「……重いんだけど…」
「買えと言ったのは、貴方ですよ」
 ふん、と鼻で笑う。ロッソは少々不満そうにしていたが、諦めたのか溜め息をついて持ち手を握り直す。そんなに重いなら、普段飛ぶときのように重力を操作すれば良いのではないか、と白は思ったのだが、とりあえず面白いので黙っておくことにした。

 ひととおり買い物を済ませ、2人はレジに並んだ。休日ということもあってか、どのレジにも列が出来ており、少々暇である。白は人形を入れてきたトランクを 前後に小さく揺らした。
「……なぁ、白いの」
 すると、隣で荷物満載のカゴを両手で持ったロッソが名を呼ぶ。見上げると、彼は遠くを眺めていた。その視線の先を追う。どうやら彼が見ているのは、雑誌コーナーらしい。
「あれ、欲しいんだけど」
「どれですか」
「オレ●ジページ」
 聞いたことのあるタイトルである。
「……なんでしたっけ、それ」
「料理雑誌」
「…………は?」
 料理雑誌、というのは、つまり料理の作り方が載っている雑誌のことか。
「なんでそんなものが必要なんですか」
「だって、和食特集だし…」
 そう言えば、ジズもロッソも和食を作ったことがない。そもそも2人とも家にあった料理本を見て料理しているのだから当然である。しかし。
「自分で買えばいいでしょう」
「いや、俺お金持ってない」
 …それもそうだ。働いていないのにお金がある訳がない。
「なら働いて下さい」
「えー…だって俺、家事してるし」
 黒いのに全部家事任せんの?と尋ねられ、白は言葉に詰まった。それを好機と見たか、ロッソは続けて言う。
「いいじゃん、俺が家事で、白いのが仕事で、バランス取れてんだから」
「それは……そうですが……」

そして、トドメの一言。

「それに、黒いのも読むと思うぞ?」


そして、結局。

「……私、甘いんでしょうか…」
 白は深い溜め息をついた。隣ではロッソが若干嬉しそうな顔で大量のビニール袋を運んでいる。その中には、例の雑誌が。
「いいですか、今回だけですからね!」
「…来月、中華料理特集だって」
「絶っ対買いません!!」
 図々しくも言うロッソをぴしゃりと叱って、白はスタスタと歩く。その後ろを歩くロッソの口元には、小さな笑み……確信犯なのかもしれない。

 街は既に夕日に包まれてオレンジに染まっている。荷物を抱えて歩く2人の影は長く長く伸びている。
休日の街道は、それなりに賑わっていた。買い物帰りの人が多いようだ。家路を急ぐ者もいる。時々、鼻先を良い匂いが掠める。もうすぐ夕飯の時間なのだろうか。
 ふと隣で上がる歓声。顔を向けると、向かいの通りで、幼い子どもが両親と手を繋ぎ、持ち上げてもらっていた。和やかな光景に、思わず白は目を細めた。
「………いーな」
 いつの間に追いついていたのだろう。右を向けばロッソの姿。
「何がです?」
「いや、あーいうの」
 その言葉に、俯く。

 昔のことは詳しくは知らないが、自分と同じように、彼にも普通の子ども時代などなかったのだろう。幸せでなかった訳ではない。しかしそれでも、両親が居て、愛される幸せに焦がれる気持ちは止められない。

口を開こうとした。何か、言ってやろうとした。しかし、先にロッソが言葉を発した。
「なぁ、白いのってさ」



そして、続く言葉に、白は絶句することになる。




「子ども産めないの?」




「……………………は、はい?」
「え、だから、子ども」




「………………」
「……………無理?」
「……………む、」
「無理に決まってるでしょう、この馬鹿土星!!」
 白は叫んだ。しかし、攻撃はしなかった。いや、出来なかったのだ。両手は荷物で塞がっているし、何よりロッソの持っている袋の中には卵が入っている。
「えー…無理なの?」
「当たり前です!!」
 何故不満そうなのか。あぁ今じゃなければ蹴り飛ばしてくれるものを。
「冷静に考えて下さい」
 白は溜め息をついて言う。
「私は幽霊ですし、そもそも男です」
 しかしその言葉にロッソは首を捻る。

「…でも、白いのは自分の意志で姿とか変えられるんだよな?」
「できますが、」
「じゃ女に」「なりません」
 遮って、即答。確かに、頑張れば出来ないこともない、と思う。しかしやったことはないし、やりたいとも思わない、断じて。
「………それに」
そして、一番に、

「無から有は、生まれませんよ」

歩き続けて、気がつけば街の出口。人はいない。ただ、遠くのさざめきだけが聞こえる。
「………と、まぁ」
顔を上げて、ロッソは呟く。視線の先に、宵の明星。
「例え白いのが女で、幽霊じゃなかったとしても、俺には子ども作れないんだけど」
性別ないからなぁ。そう呟く顔は悲しいほど、柔らかかった。

性別がなければ、生殖能力がなければ、恋などする筈がない、する意味もないと以前の彼は言った。そしてその言葉を否定したのも、彼自身だった。けれど今もどこかで、揺らぐアイデンティティに、悩んでいるのだろうか。
翠の瞳は何も映し出さない。

「………別に、いいんですよ」
言葉は自然とこぼれでた。
「なにが?」
「貴方が男だろうが女だろうが」


そう、何が変わることがあるだろう。

「ジズと、ついでにあの青土星と、それから貴方が居れば、私はそれでいいんです」
それで、十分ではないですか。
そう、呟いた。
「…………そっか」

ふっと息をつくように言う、その横顔が、微笑んだ気がした。

夕暮れの空に少しずつ星が輝きだす。もうすぐ、夜になるだろう。
「飛びましょうか、黒が待ってます」
「…りょーかい」

夕焼けが美しい。明日も晴れるだろう。そうだ、明日は和食とやらを作らせよう。魚は余る程あるのだし。
どうせなら中華料理特集とやらも買ってやろうか、と白は微笑んだ。

その隣で、ロッソが呟く。


「…良く考えたらさ」
「はい?」
「俺、地球では、体を人間と同じにしてるんだから、男なんだよな一応」
「まぁそうでしょうね」

何を今更。訝しく思い眉をひそめる。
ロッソは頷いて、言った。

「じゃ、ものは試しだ」
「…は?」
「白いの、子ども」「だから、私はできません!!」


前言撤回。

中華料理特集なんか、絶対に買ってやるものか。


...fin

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